演劇

序文

演劇の方法論の確立が最終目的だとかいうならともかく、そうではなくておもしろい演劇をつくるのが単に目的だとしたら、自分の方法を体系化していったり明確化していったりすることなど不要なことだ。明確な体系をすでに持つ方法論と、方法「論」と呼ぶにはまだあまりに輪郭の曖昧な状態のものとがあって、さてどちらがより遠くにいく作品を生み出す可能性を秘めているかといえば、それは後者なのではないかと僕は思う。
方法論の体系化にもし意義があるとすれば、それは逃走する対象を明確に把握するため、それによりはっきりと逃走できるようにするため、にほかならないのではないか。

というわけで、僕は今の僕の方法を明確にしたいと思った。だから演劇論を書こうと思った。

僕は稽古場で俳優に、捕まえた感情を引き寄せないように、いつまでも掴んでいないように、すぐに手放すように、と要求する。なぜなら俳優がある感情を真に体現しているのは、その感情の認識の未然にかれがいるときだけだから。

ならば僕は、僕が俳優に求める、俳優と感情との関係の図式を、演出家と方法論とのあいだにも当てはめるべきではないだろうか。つまり、その方法論をこれ以上引き寄せないように、それをいつまでも掴んでいないように、すぐに手放すように。

(2003年4月24日)